陳独秀の抗日戦争に関する演説や文章を翻訳掲載していきます。

陳獨秀-我的抗戰意見

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【参考】武装して上海を防衛せよ! 全面的抗日戦争を発動せよ!(1937年8月15日)

(注:陳独秀の筆によるものではない)武装して上海を防衛せよ! 全面的抗日戦争を発動せよ!(中国共産主義同盟-ボルシェビキ・レーニン派の声明)1937年8月15日労働者、兵士および苦しみにあえぐすべての諸君日本帝国主義の強盗がまた上海を蹂躙した!この度の戦争は「12・8」に比較できないほど深刻であり、日本帝国主義の号棟の蹄鉄が華北全体を踏みつくしたということである。やつらは一挙に上海を攻め落として国民党を脅か...

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最初の双十から二十六回目の双十へ(1937年10月2日)

最初の双十から二十六回目の双十へ1937年10月2日我々は毎年の双十節において、26年前の双十を回想しないわけにはいかない。 26年前の双十は、中国のすべての民族革命戦争時代の開幕であった。この革命戦争は本質において、対内的には満州族の支配を転覆し、対外的には帝国主義による分割を転覆しようとするものであり、社会の動象においては後者はなおさら前者よりも重要で、辛亥革命以前の権利回収運動こそ、まさにこの意義の...

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抗日戦争の意義(1937年10月6日)

抗日戦争の意義(1937年)10月6日の武昌華中大学での講演陳独秀全国が要求していた抗日戦争は既に開始された。なぜ抗戦しなければならないのか? 一般的な説明は、日本がわれわれをあまりに抑圧するからだというものである。この説明はもちろん間違っているわけではない。しかしあまりに皮相であると言わざるを得ない。一般民衆、とくに知識人は、さらに深い意義を明瞭にすべきである。抗戦は一時の感情に基づくものではなく、深...

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辛亥革命の回顧と展望(1937年10月10日)

辛亥革命の回顧と展望辛亥革命は実質上、対内的には満清[満州人の清朝]支配を転覆し、対外的には中国における帝国主義の特権勢力を排除することであり、つまりは民族工業の発展のために民族の独立国家を建設することであった。残念なるかな、当時の政府スローガンは、排満[満州人=清朝支配の排斥]に偏り、当時の活動は軍事に偏り、満清が転覆し、軍事活動が停止し、人民は革命がすでに完結したと勘違いし、党人[国民党メンバ...

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敵の飛行機と大砲に感謝する(1937年11月11日)

敵の飛行機と大砲に感謝する1937年11月11日酔生夢死にして昏々沈々にあったわれわれ中国人に対して、悶々として死を欲させる中国社会に対して、日本帝国主義の飛行機と大砲は、もとより我々を壊滅させる可能性はあるが、もしわれわれがそれを善く利用することができれば、まさに時機にかなった無限の大警鐘であり、一本の強心針と最も激烈な興奮剤となる。とりわけ中国全土の大都市に遍く行われた敵人の空爆は、誰が勇敢で誰が臆病...

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日本の社会主義者に告ぐ(1938年8月21日)

日本の社会主義者に告ぐ1938年8月21日日本にもしまだ社会主義者がいるというのであれば、私のこの文章は彼らに向けたものである。抑圧国のブルジョアジーと被抑圧国のブルジョアジーは分けて考えなければならない。植民地や半植民地が帝国主義に抵抗する戦争と帝国主義同士の戦争は分けて考えなければならない。たとえブルジョアジーが指導するものであったとしても、全世界の労働者階級および社会主義者(戦争当事国双方の労働者...

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■ プロフィール

一枝獨秀

Author:一枝獨秀
陳独秀の抗日戦争に関する演説や文章を翻訳掲載していきます。1937年7月7日の盧溝橋事件によって、中国全土で抗日機運の圧力をうけ、国民党・蒋介石政権は、第二次国共合作へと進みます。32年に逮捕され、南京の老虎橋監獄に収監されていた陳独秀ら中国トロツキストたちも37年8月以降次々に釈放されていきます。陳独秀はトロツキー派への組織的復帰はしませんでしたが、抗日戦争だけでなく反帝国主義の民族解放闘争が、次の中国革命へのステップで有り、中国革命は世界革命の一環であるというスタンスを保持しながら、ソ連のスターリン支配体制に対しても批判的姿勢を堅持しました。ここに掲載するのは、1937年からの抗日戦争の時期の演説や論考が中心ですが、日本との関係に触れられているものであれば、それまでの時期のものも載する予定です。


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